クライストチャーチのマオリ語名 オタウタヒ(Otautahi )の由来を調べてみた

こんにちは。

今回は、私達が住んでいる街「クライストチャーチ」のマオリ語名と、その意味を調べてみました。

少しマニアックですが、ご興味のある方はどうぞお付き合いください。(*^-^*)

まずは、クライストチャーチとは。以下wikipediaより。


クライストチャーチ(英語: Christchurch、マオリ語: Ōtautahi)は、

ニュージーランド南島中部、カンタベリー平野東海岸側に位置する都市である。

人口は、341,469人(2013年)[1]。国内では2番目、南島では最大の人口を有する。


私からの目線ですが、

ここは落ち着いた雰囲気の街です。

ガーデンシティとも呼ばれていて、街角に奇麗な花が植えてあったり、

ガーデニングの好きなご家庭も多い気がします。

市内中心部には大きなボタニックガーデンがあって、

海もあって、川もあって、

サザンアルプスが一望できる丘もあって、

その丘の向こう側には旧火山の火口である半島があり、

その火口湾にはイルカ等の野生動物が生息しています。

大きすぎず、小さすぎず、治安もよく、自然にも恵まれ、

人柄も良い人が多く、安心して子育てもできています。

さてそんなクライストチャーチですが、

ウィキペディアによると、

1856年7月31日に英国国王の勅許状により

クライストチャーチはニュージーランドで最も古い市として誕生したのだそうですが、

その時、なぜ「クライストチャーチ」という名前になったのかというと、

初期入植者の多くが、英国オックスフォード大学・

クライストチャーチカレッジの出身者であったことから

クライストチャーチと命名されたのだそうです。

ちなみに、ニュージーランドに最初に来たと言われているのはマオリの人々で、8世紀ごろ。

西洋人(アベル・タスマン)が到着したのは1642年。

このクライストチャーチにイギリス人入植者が入って来たのは1850年の事でした。

様々な対立もありましたが、そして今も完全には解決されていませんが、

(詳しくはニュージーランドの歴史ウィキペディア参照)

アオテアロア・ニュージーランドは、

人種、思想、文化、言語等の違う人々が、お互いを認め、共に歩もうとしてきた、

世界の中でも良いお手本の国のうちのひとつでもある気がします。

実際、他国(日本)で生まれ育った私も、大きな差別を感じる事はなくこの地で過ごさせて頂いています。

ニュージーランド人と日本人の血、DNAを継ぐ我が家の子供達にとっても、

それを個性として尊重してもらいながら伸び伸びと成長できる環境に恵まれ、嬉しく思っています。

さて、クライストチャーチのマオリ語名はというと、

Otautahi(オタウタヒ)といいます。

うーん、どういう意味なのだろう。。。

日本の地名等も、その漢字などにその場所の意味が込められていることが多いですが、

ニュージーランドの地名や山、川、滝、湖等のマオリ語名にもよく

その場所の意味を示されていることがあります。

例えば、

「ニュージーランド」のマオリ語名はAotearoa(アオテアロア)。

その意味は、「白く長い雲のたなびく地」

「マウントクック」はAoraki(アオラキ)。

その意味は、「雲を突き抜ける(山)」とか「雲の峰」。

そう言えば、以前アップしました

デビルズパンチボールウォーク(Devil’s Punchbowl Walking Track)

に登場したデビルズパンチボウル滝も、

マオリ語ではTe Tautea o Hinekakai(テ タウテア オ ヒネカカイ)」

といって、植物を使った編み物の名人であるご先祖様のHinekakai さんのお名前がついていました。

ヒネカカイさんの滝

というわけで、

クライストチャーチのマオリ語名「オタウタヒ」にも、きっと何かしらの意味があるに違いない!

と期待を膨らませながら、ちょいと調べてみました。

以下、参照したクライストチャーチ図書館のページより。

(翻訳が少々間違っているかもしれませんがご了承くださいm(__)m)


オタウタヒ(Otautahi)とは?

オタウタヒ(Otautahi)はもともとクライストチャーチ中心部の特定の場所の名前で、現在のキルモア通りに位置し、消防署の近くに位置しています。

オタウタヒ(Otautahi)は、「タウタヒ(Tautahi)の場所」を意味し、1930年代にクライストチャーチの総称として採用されました。

それより以前は、ナイタフ(NgāiTahu)部族の人々は一般的にクライストチャーチ地域の事をカライティアナ(Karaitiana:Christianクリスチャン、Christianityキリスト教の意味)と呼んでいました。

タウタヒという人物

テ・ポトキ・タウタヒ( Te Potiki Tautahi)は、カンタベリー地域に元来より居住するナイタフ部族のひとりで、ホロマカ(Horomaka:バンクス半島)のコウコウララタ(Koukourarata:Port Levyポートリビー)を定住地としていました。

当時、現在のクライストチャーチ市の沼地にあたる地域は、アヒル、ウェカ、ウナギ、小魚などの食糧が豊富でした。

クライストチャーチの沼地

タウタヒと仲間の人々は食料採取をするために、コウコウララタから半島を回りそしてOtakaro(オタカロ 現在のエイボン川)を上って頻繁にやって来ていました。

彼らはウナギを捕まえ、ハラケケ(Harakeke:ニュージーランドフラックス)の中の罠で鳥を捕まえ、川岸に寝泊まりをしました。

ニュージーランドフラックス

タウタヒはある日、これらの訪問(食料採集)時に亡くなり、キルモアとマンチェスター・ストリートの角にあるセント・ルーク教会の公邸(2010年と2011年の地震後に倒壊されました)のウルパ(墓地)に埋葬されました。

現在クライストチャーチ市と定義されている地域は、タウタヒの特別地域として指定されました。

正式名称はテ・フェヌア・オ・ポトキ・タウタヒ(Te Whenua o Te Potiki-Tautahi)であり、後にテ・ポティキ・トウタヒに短縮され、オタウタヒ(Otautahi)という名前にさらに短縮されました。

“Tautahi” –にまつわる伝説

タウタヒという名前を辿ると、古代ハワイキへと遡り、ハワイキから広大なる海をテ・ワカ・オルレア(Te Waka Orurea: オルレアという名の船)で帆走していた3人のうちの2人の首長の話に繋がるのかもしれません。

伝説によると、彼らはバンクス半島のワイレア(Wairea:フォーサイス湖)出口の近くのどこかに上陸したそうです。

2人の首長のうちのひとり、テ・ポティキ タウタヒ(Te Potiki-Tautahi、唯一の子供という意味)と、彼の部族はここに上陸し、もうひとりの首長、フルフルマヌ(Huruhuru Manu、鳥の羽という意味)は、Westlandまで海岸の周りを航海を続けました。


というわけで、ざっくりと言うと、

Otautahi(オタウタヒ)とは、「(昔クライストチャーチに漁をしによく来ていたナイタフ部族のうちのひとりの)タウタヒ(という人物)の場所」という意味でした。

うーん、思っていたよりかはあまりドラマチックではなかったというかなんというか(笑)

深く調べるともっと情報が出てくるのかもしれませんが、今回はこれまでにしておきます(^^)

地名が沢山出てきたので、ちんぷんかんぷんだった方が多いと思うので、

ご参考までに簡易的な地図を載せますね。

白点線は定住地から沼地エイボン川へと漁をしに来た時の予測航路です。

© OpenStreetMap contributors

そして下の地図は、古代ハワイキよりワカ(船)に乗りやって来た二人の首長のうち、

テ・ポティキ タウタヒ首長とその部族が上陸した場所、フォーサイス湖の場所です。

© OpenStreetMap contributors

ふと思い出したのですが、先日8月10日に、

古代と語り継がれている伝説レベルの話なので、どのくらい昔の事かは定かではありませんが、

多分、セントルーク教会に実際に埋葬されたタウタヒの祖先にあたるであろうテ・ポティキ タウタヒ首長とその部族は、

最初は定住地ポートリビーとは反対側に上陸したようですね。

エイボン川沿いの沼地の食料へのアクセスを考えて、

次第に拠点を移動していったのでしょう。と、当時に思いを馳せる、タイムトリップ好きな私。

奇しくもちょうどバンクス半島方面にあるウォーキングコースを歩いてきたところでした。

そのコースのゴール地点の丘の上にはポツリとマオリの木像があり、

このタウタヒ達の元定住地のポートリビー方面を見渡しているような恰好で立っていました。

良い感じに繋がっていますので、

その時の様子はまた後日アップしますね(*^-^*)。

お付き合いありがとうございました。

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